北京中学生留学事情 |

こんにちは、青井です。毎日ブログを書いているというらしからぬ友人の言葉に触発され私も!とおもって3日連続で書いてみてます。今日は久々インターナショナルスクール事情。というのは3月の声を聞くとインターに生かせている親は焦る時期なんですね、6月半ばから始まる夏休みの間に子供たちを行かせるサマースクールをどうするか決定しなくてはいけないから。実は3月では遅すぎるくらいでアメリカの人気のある学校だと1月頭には申しこみが終わっていないといけなかったりで、今うちも実は1つ申し込みをして選考のテストの日程待ちをしていたりします。これが決まらないことにはどうにも落ち着かなくて・・・。
今回はそのサマースクールの件とは別に北京に留学事情をちょっとご紹介しておきます。
生徒数3000人!熾烈な受験勉強

中国はご存知の通りの一人子政策のため子供にかける親の期待や情熱はすでに半端ないものになっています。長男は昨年3月東京のインターをやめ北京の地元の中学入学。地元、つまりそれは中国だから「国立」ってことですね。中国のその国立の中学は全生徒3000人でもう熾烈な受験勉強をし入学するようなのだけれどうちの子はその中の国際部300人というところにはいりました。といってもインターというわけではなく地元のハーフの子とか国際的な進路を考えている中国人の比較的裕福な家庭の子供がきているというだけで、先生も英語の先生以外はすべて中国人。校長先生にはお会いしましたけれどほんと昔の日本の学校の先生みたいに鷹揚。
といっても中国語わからない私はほとんどすべてホームステイさせてもらっているブログでもご紹介した中国の心の友、孫さんたちにお世話になりっぱなし。子供たちもまるで男のこばかりの4兄弟のようになって暮らしています。3年ほど日本で中国語は勉強していたもののいきなり授業がすべて中国語という環境は初めは大変だったようですが、もちまえの暢気さでなんとかなった模様。中国の子にも大人気の日本から毎週ジャンプやら新刊のワンピースやナルトなどをみんなでよんだりしている模様。(日本語読めなくても絵柄で内容をおってるらしい)。ちなみに寮もあります。初めの3ヶ月は孫さんの長男もはいっている寮に長男と同じ部屋でいれてもらってはいっていました。
中国の学校事情

正直私は中国語はまったくわからないので事情は把握しきれていないのですが、中国のある一面が如実にでているのが感じられる場面があり興味深いです。たとえば共産主義の中国が実は日本なんかよりよっぽど資本主義を感じる瞬間があります。たとえば学費はは日本の常識からいうと激安で熾烈な受験勉強をしてあがってくるこういった学校ですら年間2万円ほど。ええ?しかし国際部だけは10倍の値段設定になっている。そしてなんと国際部のクラスは校舎の一番上のフロアでしかも机やロッカーは普通部よりもいいものが使われている。ええ?いいの?そんなことしちゃって。。
さらに驚く学食

そしてなんと学食も別れていて国際部と先生しか入れないちょっとファンシー学食と一般の学食とが分かれているという。。ええ?そんなことむしろ日本なら絶対許されないと思うが、そういうところはものすごい資本主義というか合理主義というか。。もちろんファンシーな学食っていっても日本の普通の学食と同じくらいなかんじなんですけどね。
そしてとにかく広い

勉強方法はもちろん日本と同じように先生の授業を子供たちが同じ方向を向いた椅子に座って聞くというタイプでアメリカ的な学習方式ではないわけですけれど、高度成長時代を迎える中国にとってこの大量生産方式の勉強法が一番能率的で時代にあっているのはまず間違いないでしょうね。そしてこのものすごい数の競争を勝ちあがってくる子供たちはある意味ものすごく優秀です。国際部はもうちょっとのんびりした雰囲気のようですが。。数学などをみていると日本よりも難しい。校舎や体育館や廊下もとにかく広くて大きくてこれはアメリカの学校の感じにそっくり。先日北京大学の北京で行われた同窓会1000人に出席したという日本人と話ていましたけれど中国のトップスクールの世界をにらんだ意欲と人脈はすごいことになっていてエリート教育というのは徹底していますから。
定型がすでになくなりつつある教育

とりあえず1年のつもりで送り出したけれど、一体この先どうしたものかといまいろいろと考えてしまいます。どうせ留学するなら1年というのはあまりに短いわけで、やはり2年くらいは最低は必要か。インターの小学校を選んだ場合大学は必然的にほぼアメリカまたはそれ以外の海外に行くことは大前提。しかし高校からアメリカに出すという選択肢もあり中学のこの時期どのインターの親も悩みます。本人がこれまた日本に戻っても中国にまだいてもどっちでもいいよ。とかしれ~とした顔でいうものだからこれまたどうしたものかと。
中学からアメリカのボーディングスクールに子供自らの意思で行きたいといい送った親、高校からアメリカやイギリスのボーディングに行く子達。また個々の事例でいうとアイスホッケーを小学校ではじめたけれど日本ではなかなか練習もままならないということでカナダのホッケーチームがある学校に中学から留学したお友達。

またサッカーがすごく好きで成績も抜群に優秀な子は小学生のときから毎年夏にはスペインやイタリアのセリエAのジュニアのチームの練習に参加していて9月から日本人のサッカーをやる子供たちを集めた個人経営の寮がある町の公立の学校に行くというお友達。ちなみに彼はスペイン語まだぜんぜんできませんからね。。さすがの私も「スペインのその学校ってIB(世界の大学への入試資格)とれるの?」ときいてしまいましたが
「まあだってずっとスペインにいるわけじゃないだろうから後で考えるわ」といっていたが。。でも私が彼の親でもそうしたかも。気力体力学力本当に優秀だからこの経験は必ず彼の将来の糧になると信じられる選択。またあるお友達はイタリアのレースチームに参加していて東京のインターでの出席日数が足りなくてだされそうでカーレースに理解のあるヨーロッパの学校に転向する方向らしいが・・。
こういったある種特殊な才能や趣向が有る場合も選択肢がもうバラバラで誰にも相談できない状態だけれど、アメリカのいい大学に普通にいれようとおもってもまあ大変であるようです。というのはたとえばスタンフォードの学部に入る日本人は最近では1年に1人だけというようなことも多いらしい。大学院にはいるほうがまだ全然簡単といわれるほどアメリカの一流大学にはいるのは超難関。というのはアメリカの入試は日本のように試験一発でなく成績優秀なのはもちろんのこと、高校時代いかにユニークなことを成し遂げたか?というのが重要。アメリカの一流高校なんかに日本人がはいってしまった場合アメリカの超優秀な学生と同じレベルで争わなくてはならず、むしろ日本のインターにいっているほうがユニークネスという点では引き立つので入りやすいのでは?という憶測もあるほど。日本の受験戦争とはまったくちがった意味の熾烈な受験戦争がそこにはあるわけで。それもアメリカの大学はやっぱり世界レベルの競争なので熾烈さも世界レベル。。

ある意味私達の時代は「日本」という「枠」があったのでたとえば高校を選ぶ場合でも、まず「偏差値」というものさしを当てはめれば候補は数校に絞られたし、将来どうするかというのもある程度どこの「大学」にはいるか?というのを考えるというのが大半だったから語弊があるけれどある意味「選択は楽」だったと。そして日本が成長する日本の中で頑張っていれば世界にもでていけて日本も日本人も幸せになれた時代。
しかし日本の成長・安全神話もくずれ世界がこれからどこへいくのかもわからなくなってしまい、それでも日本の将来や世界の未来はこの子供たちが背負って生き抜いていっていかなくてはいけない時代。「将来どう道生きたいのか?」を常に問われ、偏差値というものさしもあてはめられず世界中どこの学校にいってもいいですよ、という枠がはずされてしまっている現状、「自由」という楽しさとそして恐ろしさを両方感じる。自分の人生を自分でデザインする時代。そして子供にとってその前半においては親がその役割の大部分を担うという事実。
というわけで一体最終的に何をどうしたいか?一体その子は最終的に何をしたいのか?何が得意なのか?によって中学で海外にでるのか、高校でアメリカの高校にいくのか、はたまた日本でインターを終了して大学でアメリカにいくのか?はたまたうちのようにもうすでにその範疇にもあてはまらず独自路線で切り開くのか。。とインターの親は地図のない道をカスタムメイド教育を手探りで進むわけです。。。しかし教育って本当に難しいですね。。一体これからの世界がどうなっていくのか?どういった才能が社会に必要とされているのか?何が子供にとって幸せなのか?自分とはなにか?という親の価値観そのものが厳しく問われます。すでに鉄板唯一絶対解はどこにも存在しないことだけは明らか。悩みます。。