アートと日本の希望の場所「越後妻有」大地の芸術祭 |

こんにちは、青井です。8月も後半にさしかかってきましたがお元気ですか?今年の夏はすこし気まぐれですね。
今年「里山のお盆を楽しむ 越後妻有アートの旅2泊3日」というのにお誘いいただきお盆を新潟の南端に位置する越後妻有で日本の夏を深く体験してきました。この美しい「棚田」が目の前に広がった時は全員息を飲みました。
日本の原風景、心のの故郷といわれる里山。隠れる場所のない夏の日差しが照りかえる山道を登っていくと眼下に地形に沿って丹精込めて作られた段々になった棚田の田園風景が広がります。日本の原風景でありながら、なぜかヨーロッパの田園風景にもアジアの田んぼの風景にもつながる人の手の作業と自然美しい融合がすばらしく暑さも忘れるほど。
過疎化、高齢化で担い手がどんどんいなくなり1500年続くというこの地域の生活・文化がどんどん失われていくなか、いまここで再びこの地がアートと融合することで新たによみがえろうとしていました。
1996年から続く大地の芸術祭

新潟県たスタートしたこの芸術祭はこの23区より広い越後妻有で3年に一回夏に200名にも及ぶアーティストを招へいし開催される世界でも類を見ない芸術祭す。

公共事業とからめた公園であったり、空き家になった古い古い家をアーティストがアート化した作品、廃校になった小学校を美術館にしてよみがえらせた場所、稲作がおこなわれている棚田の中にそのままある作品など、過去4回の芸術祭が終了した後も、200点以上の作品が「小蛇隊」と呼ばれるボランティアの人々によって管理され、多くの人が毎夏訪れてアートを媒介にして掘り起こされ高められたこにこの地域、ひいては日本の生活の中の文化を体感しています。

そしてこれはアーティストやメディアを通じて世界に発信され、観光客を集めている。なんと2000年の1回目は16万人、2003年の2回目は20万人、2006年には30万人、2009年には37万人が訪れたというからすごい!なんたって人口は7万人、65歳以上が人口の3割を占めるというこの地域にですから。
宿泊するアート「脱皮する家」

今回この大地の芸術祭を民間として新潟県と手を携え企画運営している代官山にある「アートフロント」の前田さんが友人のために企画してくれて総勢13名で3日間かかけて約60点ものアートをご案内いただきました。その中には空き家プロジェクトの一環で泊まれるアート作品の「脱皮する家」なども含まれていました。
これは非常に面白い試みです。日大芸術学部彫刻家有志の延べ600人が彫刻刀1本で3年間かけて空き家の表面を削っていったもの。外からみたら普通の古い民家ですが中に一歩はいれば壁はもちろん梁から天井、床にかけて昔小学校の時に使ったような彫刻刀の削り後がびっしりと表面を覆う作品。そしてその空き家となり一旦は死んでしまった家が刀で彫刻家により表面を削りとられるとことによって’脱皮’しアートとして新たに蘇り、いままた賑やかに旅人を迎える家となっています。そしてその隣にはごく普通に昔からそこに住む人たちが生活しています。アートの前にまず生活と文化とコミュニティーがあるというのが大きな特徴です。


この事業が始まる前は空き家は村の人にとっても廃墟にすぎず悲しいそして厄介なものにすぎなかったといいます。解体するだけでも数100万かかるし放っておけば景観上も治安上も好ましくない空き家。この作品の総指揮をとった彫刻家の先生もお盆に彫刻家20名ぐらいを引き連れて越後妻有のこの地にやってきていましたが、夜に行われたお盆には男女の学生も全員浴衣で参加しています。数年かけてアートを制作しにくる学生はまさに村で生活をともにするうちに地元の人たちとも触れ合い絆が生まれ、本来ならまったく接点のなかった村の子供たちや老人たちとごく自然に都会の若者たちがかたりあってる姿は、「アートとは人をつなぐ絆です」と説明してくれた前田さんの言葉とともに感動的でした。
生きていることそのものがアート

この盆踊りは人口50人の村でのものでしたが参加者はなんと200名以上。里帰りの人はもとより日大の学生さんをはじめ多くの観光客がこの小さな村の盆踊りに訪れています。そしてなんと盆踊りの唄は85歳のおじいさんの地唄です!!優雅な手つきで踊る地元のおばさんたちの踊りも美しいこと。それにあわせ見よう見まねの大勢の踊り手がくわわり盛り上げます。

地唄の唄い手のおじいさんや踊るおばあさんのそのハレの日の笑顔それがそのまま生を賛歌するアートのようです。過疎化する村の人たちとはじめはまったく接点もなく交わることもなかった都会や海外のアーティストが制作期間一緒に暮らすことで生まれたあらたな絆をもとに生活やそこで生きる人そのものが「アート」として認識され広く世界に発信され、多くの人たちが村にもどり経済が活性化し村の人たちに誇りと笑顔がもどってきているんですよね。はじめはアートにも部外者にも懐疑的で100%否定的だった村の人たちも、「アートはまったくわからないけど・・・」といいながら自分達の村にある作品が「自分たちのもの」として大切にされ、そして自慢におもってるんです。
イリヤ&エミリア・カバコフ 棚田2000

60点以上ものアートを3日間かけてまわりそのほとんどが非常に大きい作品で、東京23区より大きい地域に点在しています。マイクロバスを借りて1日の走行距離は150キロ以上。そして作品を鑑賞するためにバスがはいれないところは徒歩で山道やあぜ道をてくてく歩いてまわります。小学校の時をふと思い出すような夏草のむせるようなにおいと照りつける太陽に汗が流れおちるのもしだいにわからなくなってきますが、これほど強烈に日本を再確認できる機会もそうはないとおもいました。私のなかでのベスト3の作品のひとつはまずこしらの棚田にあるアートです。もっとも有名な作品のひとつなので目にした方も多いとおもいますが、ひとつのシンボル的総合施設である「農舞台」というやはりアート施設のある場所から見る作品です。棚田の中に四季折々の田んぼの作業をする人たちが黄色や青のモチーフとして設置され、その農舞台には四季折々の一つ一つの作業がポエムになって縦書きの日本語になってつるされている。農舞台から棚田の作品をみるとこの文字が棚田の上に3Dのように浮かび上がるというもの。

このロシア人のアーティストが来日したときにやはり壮大なこの棚田をみて本当に感動したそうです。アーティストがこの棚田を指定してぜひここに自分の作品がつくりたいということだったのですが、棚田の持ち主であるおじいさんははじめは難色を示して使用許可がでなかったということ。なにせ高齢のため棚田自体をもうやめようとしていたときだったろいうこと。しかしアーティストとボランティアがその田植えや草むしりの手伝いし、棚田や地域のことを一生懸命勉強したりしているうちに心を開いてくれるようになりそれで作品の許可がでたということです。その後この作品が世界的に評価され、棚田自体の美しさにも訪れた多くの人が感動する光景を目の当たりにしてこのお祖父さんも誇りを取り戻してやめようとおもってた棚田をさらに7年続けられたそうです。そして今ではこの棚田は大地の芸術祭実行委員会によって継承されボランティアによって田植から刈り取りまでを毎年実行しているというまさに生活と文化そのものを一緒に支えているという壮大な事業です。
「高橋治希 曼曼」の思い出の陶器花

こちらの作品も本当に力作でした。この空家プロジェクトのひとつであるアート作品は空家のなった家に陶器の花を釣り糸のようなもので立体的の吊るした物で陶器の花一つ一つにこの地域の風景が描かれています。2004年の中越大地震に引き続き今年の3.11の大地震、そして夏の大雨の水害でもこの地域は大きな被害を受けました。中越地震はもちろんですが3.11の大地震でもこの越後妻有のアートの半数が倒壊や半壊などの被害にあったとのこと。

地震の後この高橋さんというアーティストは一人一人の地元の人を訪れその人の思い出の場所の風景を描いて数千の花を陶器でつくったそうです。一人一人の思い出がこうして空家に新たなアートとして蘇っています。非常に繊細な作品で部屋の真ん中は一人づつ作品を鑑賞するようにボランティアの人が誘導しています。

3.11の地震の爪痕もまだ生々しく残っています。昔から豪雪地帯として有名なこの地は非常に厳しい自然の中農業と関わり生活してきた地域です。2004年もそうだったそうですが記録的豪雪、大雨、地震というのはなにか3点セットのようなもので冬の豪雪だった年の翌年は大雨の災害がおき大地震の被害にあったそうです。

今年もまた去年の記録的豪雪と大雨、地震とあり地震の後の先日の大水害では、いまみればそれほど大きくないわずか数mに見える川が大氾濫をして山腹にある道路にまで水が達し、道路をえぐっている状態がまだ残っています。こうして厳しく豊かな自然と何度も折り合いをつけて逞しく生きてきた日本人のの歴史と文化が凝縮している地域なんですね。
森の中のライブラリー「トピアス・レーベルガーのフィヒテ(唐槍)」2003年

私の中のベスト3の最後はこちらの森の中のライブラリー。この芸術祭はなんと新潟県の公共プロジェクトなんですね。そして壮大なこのプロジェクトをプロデュースしたのは電通などの大手広告代理店ではなく代官山にある「アートフロントギャラリー」の北川フラムさん。今回ご案内してくれたのは彼の右腕として10年このプロジェクトを支えてきた前田礼さんという知的な女性ですが、いうなればいっかいの画廊がこの壮大なプロジェクトを自治体と一緒になって進めてきたということになります。

立川市の駅前の公共プロジェクトをコンペでとったのが始まりというアートフロントは一見普通の街の画廊なのですが、立川のプロジェクトをみて先見性のある、ある新潟県の職員の方が訪ねてきたのをきっかけに当初議会の議員100人中100人が「なんだよ、そのわけのわからない現代アートって?そんなんで村興しができるわけない」と反対する中、議会と村人を根気良く説得しながら、想像を絶する苦労の末数年後に1回目の芸術祭が開催されたというわけです。予算は県からは1億しかなかったといいます。その中、まだ150名の国内外のアーティストをこの村に招聘し作品をつくってもらったわけですから、ものすごいことです。
この森の中のライブラリーのアーティストであるトピアスさんはドイツ人で当時まだ無名の駆け出しアーティストだったそうですが、今では押しも押されぬ世界でも引っ張りだこの人気アーティストに大成長されたそうですが、若手アーティストの目利きでもある北川さんがずいぶん前から目をかけていて今では考えられないような破格の値段での作品を引き受けてくれたということです。このライブラリーの本はアーティストの祖国ドイツに関係する本をあつめていて実際にこの森のベンチで腰をおろして読むことができます。夜には上のたくさんのランタンが点灯しそれは幻想的な風景になるそうです。トピアスさんに限らず今では世界のアーティストにとっての登竜門的役割も果たしているという芸術祭。1回目は当然依頼による出品が多かったそうですが今は公募で沢山の応募があるということでした。
「行武治美 再構築」は景色の中に鏡の家が溶ける

冒頭でも紹介したこれもとても有名な作品のようです小さなウロコのような無数の鏡で内外が覆われた空家。
風でゆらゆらと揺れる無数の鏡に映り込んだ周りの景色に家が溶け込んでしまい向う側が透けてみえるような不思議な感覚に襲われます。とても印象的作品
「リチャード ディーコンのマウンテン2006」夕日を見るためのベンチ

高台の見晴らしのいい山腹にあるこちらのアートは予算が無いなか「夕日を見るためにベンチ」として公共事業費として予算をひねり出して制作してもらったという作品。アートと地域復興のもっとも有名な例はベネッセの福武さんの偉業である直島だろうけれど、直島はあるいみ小さい島でそして福武さんの財団の豊かな資金源があるという本当に稀な例。通常はどこの自治体も予算はとても限られていてこのように3年毎に200人からのアーティストに公募やお願いをして作品をつくってもらいそしてその後も維持していくというのは本当に大変な事。公共事業でこんな素敵なベンチをひねり出した新潟県の英断にも拍手です。
日比野克彦さんも「明後日新聞文化事業部」


礼さんのおかげで村に入っていたいろんなアーティストにも直接ご紹介いただきお話を伺う機会があったのはとてもラッキーでした。日比野克彦さんのようなビックネームもここではスタッフと一緒に麦わら帽子をかぶり汗だくで作業中でした。とってもユニークな新聞の発刊と朝顔の種をここから世界に送るというプロジェクトを推進中。この夜の盆踊りのやぐらと提灯、そこで行われる劇の練習真っ最中でした。

朝顔のカーテンがこれ。本当にアートって生きることそのものなんですね。美術館にあるアート作品も素晴らしいですけれど、ここにはアートより先に生活があります。アートがそこに溶け込むことで村や人や生活が全てを新しく切り取って見せてくれているようです
食事がまた素晴らしい!

棚田の作品が見れる文化センター「農舞台」の中にあるカフェもまた「ジャン=リュックヴィルムート
カフェ・ルフレ」という作品。ほんとこの全体のプロデュースの素晴らしさが光る名案の一つですけれど、こちらのビュッフェスタイルのランチの美味しかったこと!

地元の素材がいいのは当然だけれど田舎料理になってしまいがちな味付け、盛りつけを担当するのは、当初はボランティアの「こへび隊」として参加していた東京のクッキングスクールに通っていた女性がいつしか今こちらのカフェのお料理をそのクッキング学校と相談しながら総合プロデュースしているという。今では彼女のお料理がクチコミで人気になり鳩バスのスポット(?)になったり、オレンジページで彼女の特集が組まれたりしているらしい。参加者がいつしか作り手になっていくという時代の流れをまさに象徴している!!古いモノに新しい血がはいり新たなモノとして生まれ変わり大成功している素晴らしいサンプルですよね。。そしてここでも地元のおばちゃん達が本当に生き生きと働いているんです。アートなんてなんだかわからないけど、こうやって大勢の人がきて喜んでくれるのがまた生きがいになっているんですね。。
ここも美味しかった「うぶすなの家」


日本の焼き物界のスターを集めてきて、窯や茶室、お風呂など様々な部屋をそれぞれが担当して作ったという空家プロジェクトの一つですが、こちらもレストランになっています。ここのお料理も美味しかった~。山菜ハンバーグ。これは鈴木五郎かまどという作品でこちらでご飯を炊き上げてるということ。

2Fには写真の光の茶室とまた対照的闇の茶室がありました。

作品と空間も楽しみつつそのお弟子さんがつくった織部のお茶碗で美味しいご飯はお茶をいただくという贅沢さ。

ここで働くおばちゃんがおっしゃっていました「私たちそんな偉い先生だなんてなんにも名前も知らないけれどみんな来た人がすごいすごいって褒めてくれるのが嬉しくてね~。先生たちも1年に1回くらいお米買いにきてくれたりするんですよ。前は3~4か月は雪の中に閉じ込められている生活をしているだけの小さい村だったけどね、本当にね、今は楽しいです」。。地元の人も都会から来た若い人たちもアーティストも本来まったく接点のなかった人たちがアートでつながっていくという世界。雇用の創出と25万人が訪れるという観光としての経済的効果も大きい。
アート界のスーパースターと言われる福武さんと北川さん。福武さんも越後妻有にきて感動されてよりよく生きる社会ってなんだ、ということを考えるとよりよく生きれる地域。それは何かというとお年寄りが幸せな地域だということをおっしゃったそうです。今回北川さんにも少しお目にかかってお話をうかがいましたけど、本当に継続こそが力だし実際に社会を動かしているのだと改めて感動しました。そして地震や災害でいまとても弱っている日本の再生への一つの道筋、希望でもあると感じました。
紹介しきれないアートもいっぱいなのですがあとは写真をすこし載せておきます。皆さんも是非来年は芸術祭の年です。越後妻有を訪れてみてください。8月のお盆すぎからこれを書き出して2週間以上アップまでかかってしまいました~。気合が入りすぎたのと、いそがしかったとで。。それではまた。
棚田のかかし

カッパ

バタフライパビリオン

光の家

関係ー黒板の教室

絵本と木の実の美術館

廃校

遺影の撮影

家の記憶

美人林

廃校のカフェ


