アンドロイド演劇 「さようなら」に衝撃! |

東京発の舞台芸術の祭典「フェスティバル トーキョー」が10月30日から11月28日までおこなわれれていますがその一つとして今日10日と11日の2日間(計5公演)アンドロイド演劇 「さようなら」が池袋のシアターで上演されました。少し前にアンドロイドと人間俳優の競演のお芝居があると聞いて初日初回に予約をいれて私もとても楽しみにしていました。
平田オリザさん作演出の20分間のこのお芝居の出演者はアンドロイドの「ジェミノイドF」とアメリカ人女優の2人のみ。不治の病の少女のために父親が詩を朗読するアンドロイドを買い与える。少女はアンドロイドに自分の気分にあった詩を読んでとリクエストしアンドロイドは彼女の気持ちを「解釈」しながら詩を選び朗読し、そして会話をしてゆく。アンドロイドはここでは単なるロボットではなく知性も判断力もある限りなく人間に近い、それでいて生命をもたないという存在として演出されている、というかいいかえれば「演技している」

開演20分ほど前から「俳優」2人がスポットライトの消えた舞台にじっと座っている。暗くてまったく見えないとおもいますがうえのパンフレットの写真でも皆さんどちらがアンドロイドでどちらが人間だと思いますか?私は友人と子供たちとうかがったのですけれど私たち全員右側のダークヘアーの人が人間で左の金髪の人がアンドロイドだとおもっていました。左側の金髪の人が椅子に深く沈みこむように座っているのに対し、椅子に腰掛けた右側の人は本当にたまに姿勢がすこしゆれたり、瞬きを数回たまにしていたので。
しかし舞台が始まり驚きました。女優たちにスポットライトがあたり左側のダークヘアの女性が谷川俊太郎の詩の朗読を始めました。「えっ?彼女のほうがアンドロイド?」微妙に声がなにか遠くの音声を通して聞こえてくるのと唇の動きがわずかに人間のそれとは違うといった感はあるものの瞬きをしたときの顔の筋肉全体の動きやそしてなによりその皮膚感が人間にしか見えない・・ええ??そして更に金髪の女優が話しだしたときに2度目のびっくり。アメリカ人の彼女はわざとな演出なのか日本語という外国語を話しているせいなのかなんかロボットぽい。でもよくみると確かにこちらの女性は毛穴とかみえるし、かかとに貼られたバンドエイドとかがあってこっちが人間か・・・。このアメリカ人の女優さんは英語、ドイツ語、フランス語も話せるということでアンドロイドの詩の朗読をドイツ語やフランス語の詩の引用で答えていたけれどこれまたちょっとネイティブじゃない感がまたアンドロイドの滑らかな日本語とも対照的だったりしています。海外公演を見据えての登用だとは思いますが。
ちなみにジェミノイドFとても美人です。実在のロシア人のクオーターがモデルとか。こちらが他の記事での写真。私が舞台で見たときは暗いせいかもっと人間のように見えました。肌は本当に柔らかで吸い付くようなキメ細かさだし手なんかもふっくら柔らかそう。でも彼女は顔の表情や上半身の傾斜はできるものの、歩くことはおろか手や指を動かすこともできない座ったままの演技。パンフレットの写真で手を金髪の女優の頬に当てているのは人間の女優のほうがアンドロイドの手をもって自分であてたからであって自分で動かしたわけではありません。声や表情はなんとコンピューターでの遠隔操作で実際に舞台裏で女優さんがいてその人がしゃべる声と顔の表情がコンピューターでアンドロイドに信号がおくられているらしい。本当にカオの表情が自然で恐いほど。そしてまた声の主がこのアンドロイドにぴったり。。淡々としていてちょっと悲しい優しい声。
また微妙な間をとってくるんですね。例えば病気の女の子にカールブッセの「山のあなた」(山のあなたの空遠く 幸い住むと人のいう・・っていう例のあれです)と若山牧水の短歌で寂しさのない国の歌を読みます。女の子だったかアンドロイドのほうだったかがそれを対比させ「ドイツ人は幸せを求めて、日本人は寂しさを消してくれることを求めるっていうのが面白い」というようなコメントの後に、少女に「貴方は幸せなのと寂しさがないのとどっちがいい?」というような質問をされます。「えっ?(暫く黙る) 私はアンドロイドですからわかりませんけれど人は寂しさがなくれば幸せなんじゃないんですか?」というような答えをます。この小首をかしげた「えっ?」が本当にアンドロイドぽいんですね。本来心を持たないはずのアンドロイドならきっとこのくらいの間考えるだろうな、と思える絶妙な間なんですよね。この演劇のテーマは「死について」であるのだけれど同時にやはり「心とは?」ということにもこういった多重に重ねられた2人の会話によって語らせている構造でした。
今回この初演に限りなんと劇後に突然演出家の平田オリザさんとこのアンドロイドの開発者で今回もテクニカルアドバイザーとして参加している大阪大学の石黒浩教授の20分の対談が行われてこれまたとても興味深かったです。日本のアンドロイド技術は世界トップクラス、そして今回はこの演劇と科学の融合の臨界点を示すというもくろみ。
平田オリザさんは実はICUの先輩で私が1年生だったころたしか3年生か4年生ですでに劇作家で演出家で「青年団」という劇団をされていたのではないかとおもいますが15歳で自転車で世界1周して本をだしていたことでその名を私も知っていました。
現在内閣官房参与になっていられるけれどこの3月にたまたまある会議で彼の演出する「ヤルタ会談」というやはり20分で俳優が3人という演劇を見る機会があってこれがあまりに面白かったのでその後彼の主催する青年団の劇を駒場にみにっいったりして個人的にはとっても今興味がある分野なのです。
文科省の副大臣の鈴木寛さんもきていてご挨拶されていたけれど、日本としてこういった演劇の重要性に予算をつけているようでこのさようならはまたヤルタ会談同様今後世界中で上演予定らしい。それももしかしたら今回ライブで声と表情などをつけた裏方の女性のデーターを記録しておけば実際に彼女はいなくても劇ができるし、もっといえばこのアンドロイドは1体1000万円らしいが5体つくれば世界5カ国同時上演ということもできるという恐ろしいくらいの科学の進歩を目の当たりに・・
そしてどんな顔もつくることができるということ。なぜかその場では岸田今日子さんの名前を平田さんはあげていたけれど岸田さんを10体つくって(別の意味でちょっと恐い)同時に舞台にあげることもできるし、理論的にはすでになくなった俳優を過去のフィルムからデータをとりもう一度アンドロイド俳優として舞台にあげることもできる。3年後には普通に舞台にアンドロイド俳優が立つ時代が来るらしい。きわものとかそういうことではなく一人の俳優として。。
そしてもう1点とても面白かったのがこのコラボレーションが演劇界だけではなくロボットの研究機関でも多大な利益があるということ。というのは顔がいくら人間にそっくりでも、カオの表情や瞬きを人間そっくりにできてもどうしても人間らしくならない、どうしてなんだ?というジレンマが現場であったといいます。そこに演出家が加わるとどうなるか?常に俳優さんたちに「そこは0.2秒出だしを遅らせて」などという指示をだし実際には作り物であるお話や感情にリアリティーを吹き込むその作業が正にこのアンドロイドに生命を吹き込む作業につながったというのです。平田さんが面白おかしく「演劇っていうのはこれまでまったく人様の役にたつものではなかったのですが、ここに少し間をいれたりするだけで、教授陣からほ~という溜息がでるんですね。これで初めて社会の役に立てました」みたいにおしゃっていたけれど、石黒さんもいままで心理学の教科書などをもとにつくっていたけれどそれはあくまでも実際のこととはちがってどこにもお手本がなかったのに、演劇のなかに教科書があった。それがすごく勉強になるとおっしゃっていました。それを作りこんで作りこんでいくことで本当の人間らしくなっていく。なにか歌舞伎の女形が実際の女性より女らしい、そんなところにも通じるような。。。人間らしさってなにかをいうのをとことん考えて考えて構築していく。
実はこれが本当に日本的な強い分野とも言われているらしいのも面白いですね。アメリカなどではこれを脳科学の側面からいかに人間に近づけるかというのに取り組んでいるらしけれど日本はこの「間」とかある意味科学でははかれないもので人間らしさを追及されている。本当に「人間らしさ」ってなんなんだろう?ということも考えさせられました。
実は今私たちで作っているインターナショナルスクールでは科学と哲学やまったく違う分野の融合というようなこともひとつのテーマにしています。同時にドラマは必須にしたらどうかということも考えています。というのはこのドラマっていうクラスは海外では非常にポピュラーだしメソッドも確立されているのに、日本で演劇を勉強しようとおもうと子供の場合タレント養成所というかタレント事務所に近いものしかみあたらないのが現状。エンターテイメント業界で動いている金額もあまりに違うせいもあるのかメソッドも理論的なものが少ないし俳優の層も薄い感じが否めません。演劇はなにも俳優になるためのだけの人の技術ではないとも思うし。このプレゼンする能力、人に伝える、巻き込む能力の訓練って日本人に一番かけていて尚且つ必要なものじゃないかと思うので、これを学生のうちに学ぶのってきっと本当に役にたつと思うんですよね。。
写真もないままにすごく長くなってしまってすみません。アンドロイド演劇、今回はまさにラボでの実験をみるような生々しさとわくわく感、そしてちょっと得体の知れない怖さ・・そんなものが渦巻くでも確実にすぐにもっと身近になる世界をかいまみれて面白かったです。。もっと技術がすすめばターミネーターのようなことも現実になりうるという。そこでもまた人間とは、死とは?ということに向き合うことになるのでしょうね。機会があれば是非・・・そう、これって値段が500円だったんです。500円?確かに20分だけれど大丈夫なのだろうか、と心配になってしまいました。何かの予算がついていたのでしょうか
解釈や台詞回しでもしかしてちょっとまちがっているところがあるかもですがお許しを・・・