なぜインターナショナルスクールなのか? |

前回東京のインターナショナルスクール事情について少しかきましたが、どうしてインターナショナルスクールを選ぶのか?というのを次回という予告しました。これはほぼ私が会った方に100%聞かれる質問でもありとっても誤解が多いと思うのですが日本人でインターに行かせたいと思われる方の大半はまず英語がしゃべれるようになるから、というのがあがると思います。でもこれは色々な意味で危険な発想だと私はおもいます。
1)言語が違えば教え方もまったく違う
とても乱暴だとは思いますが言語はコミュニケーションのツールですので英語もその例外ではなく問題は何を教えるか?ですよね。例えば算数。これは基本的には数字の世界なので英語でも日本語でも同じはずですよね?でも実際は大きく違います。概念から違うんです。今の日本の小学校を私は知らないのでどうやって算数を一番初めに教えるかは私自身の受けた日本の教育と比較するしかないのですが初めての宿題は
日本の小学校だと1+1=2というようなことを教えるためにリンゴ2つの絵がかいてあるようなイメージと足し算のドリルを1枚とかいうイメージなのですが、うちの子供が初めに持ってかえってきた宿題は家中の数字を集めろという宿題でした。広告に出ているお肉の値段、時計、カレンダー、体重計、本に書いてあるページ、メトロノーム、そういうものを切り抜いたりコピーしたりして集めたあと質問が「数」とはなんですか?だった。ちょっと私は軽く衝撃をうけたのですが、今の日本の小学校ってこういうことをやっているのかわからないのですがそうか、1+1=2よりその前に数って何?ってすっごく大事なことだとおもったんですよね。すごいな、と。
なのでこれは一例ですけど全てにいえると思う、どの強化も教える観点が違う、どちらをいいと思うかは文化やその人の個人の判断だとおもいます。
2)ほんとにバイリンガルになるのか?
英語と日本語、母国語と第2外国語、それをいつどう始めるか?というのはそれはもういろいろな議論が出回っている。母国語が固まるまでは外国語を混ぜるとどちらも中途半端になる、言語には臨界点があるからなるべく早く、幼児もしくは赤ちゃんのときからはじめたほうがいい、云々。これもものすごく乱暴だけどいってしまうと学校に2つの言語の両方パーフェクトにすることを求めるのは無理です。英語が主な言語でクラスも全て英語で日本語のクラスは週数回というインターがほとんどなので高校卒業したときに日本の学校と同レベルまで履修するというのはレベルわけしていたとしてもほとんど望めない。インターの中にはたまに(というか多分1つだけ)英語と日本語を同じくらい要求している学校もあるのだけれどこれはこれでとても難しい。なぜなら学校のクラスの時間は限りがあるわけでそれを両方やるとなると生徒の宿題の負担も相当おおきくなりそして両方中途半端になってしまう例をこのパターンではかなりみた。普通のインターはなので日本語の比重はとてもひくくなっていて英語にもちろん力点がおかれているがもちろんみんなしゃべれるし書ける。ただそのレベルは本当に個人の資質にかかってきている気がする。それともちろん家庭では日本語という場合家にしかないもの(例えば台所用品とか食事とか)に関する英語のボキャブラリーは当然補えていない。なのでネイティブの生徒と比べた場合、成績は言語に関する差はでてないとおもうがボキャブラリー数だけはやはり欠けてるものがある。
3)日本語はどうする?
英語はまあ一応ネイティブの子供と並んでも成績や学術的に問題ない程度(100%ネイティブではないにしても)つくとして上記でも述べた日本語はどうするんだ?という話は当然でてくる。なんといっても母国語、これが中途半端というのはやはり避けたい、しかし学校ではここはどうしても欠けてる部分。なので他で補うしかないんですね。日本人の親、ハーフ(今はダブル?)の親もとても悩むが大体手段として使われるのが「公文」。好き嫌いは大きく分かれる公文だけれども他にほぼ選択肢がない。それと必殺マンガを読ませる。これはものすごく効果がある。大体日本の漫画は面白いのはもちろんのこと世界に誇れるほどの高文化レベルに内容も凝りに凝っていて多岐にわたる。外資系証券会社にいたとき外人とは思えない流暢な日本語を話、新聞もなんなく読んで会話している人に秘訣をきいたところ子供のころ親に漫画をすすめられてものすごく沢山よんでたらしい。たしかにこなれた(こなれすぎた)日本語、漢字にもすべてルビがふってありそして、もっとも大事な点である自ら率先して読む、というこの点を見事にクリアーしている。ただとまらなくなるくらい読んでいるのはちょっと問題でもあるが。。でもこれはかなり有効な手段、すくなくても公文よりは率先してやっている。
4)アイデンティティーの喪失?
帰国子女の方達やハーフ(ダブル)のお友達からはよくこの手の話を聴くかたも多いとおもうし母国語の問題と直結する問題としてアイデンティティーの確立の問題、日本人でも外国人でもないどこにも属せないという浮き草のようになってしまうのでは?という質問もよく受ける。でもこれには私は本当に質問返しをしてしまう。
では日本の学校にいった子は個人のアイデンティティってもてるの?このアイデンティティーの問題はなにも英語、日本語、日本の学校、インターの話だけではない気がしてる。これは自分達世代の大人も含め日本人が取っても苦手な部分じゃないだろうか。特にこのとっても複雑で流れが速い時代、日本の学校にいっていればアイデンティティーがもてるという幻想を抱いている人はほとんどいなのではないだろうか?それよりなにより自分とはなにか?っていうのって国籍とか学校とかそういうのではなく本当に根源から考えなくてはいけない問題でインターだろうが日本の学校だろうがそれよりもっと教育そのもの、社会そのものの話な気がする。インターで一つこれに関していいと思えるのが多様性。人間って多分比較することで初めて自分が見えたりするとおもうのだけれども違う考え、違う国籍、色々な人種、そういう違うっておもうことで初めて自分がなにかぼんやりわかったりする気がする。これも本1章分ぐらいのディスカッションができますね。。
長すぎました、すみません。トップ写真は各学校で毎年配布されるカレンダー。これはほんと重要アイテム。日本の祭日にそっていないお休みの体系なのでこのカレンダーで学校のお休みを把握していないととんでもないことになる。そしてインターごとに休みもバラバラだったり。ちなみに春休み、今年は3がう22日~28日の一週間のところが多いみたい。でもなぜか19日もおまけに休みだったりする、したの子の学校は。Parents Canferenceとかで。。また休みか。。困る、毎回。
なぜインター話が2回?次回は必ずインテリア関係でいきます。お楽しみに。