映画「はじまりの記憶 杉本博司」 |
こんにちは、青井です。アートが2回続きます。ONE PIECE展も本当によかったのですが今回ご紹介の杉本博司さんのドキュメンタリー映画がまた違った意味でものすごかった。人類の英知の凝縮みたいなかたでした。
写真家としての杉本博司さんというのはもちろん世界のSUGIMOTOで有名な「海景」や「劇場」シリーズで1枚数千万から億単位の値段がつく世界のトップアーティストの一人ですが、今回の映画をみてそれは彼の才能のほんの一遍であるというのに驚愕してしまいました。日本の歴史や古美術にも精通してまるで科学者のようにあらなた写真技術を探求し、見えない精神を具現化する現代美術家。その表現の場は彫刻から建築、能の脚本から神社の改築までいったい何人の人が寝ないで活動しているのかと疑うほどの幅広さでありました。そしてどの分野も徹底的に自分の目でみて足であるき調べてそれがすべて作品となって純化されているというすさまじさ。
コンセプテュアル アーティスト
コンセプチュアル アーティストという言葉がご本人の口からでていたけれど通常アート、写真家というときに
おもうのは「感性で写真をとる」ということが一般的だとおもうのだけれど彼の場合まず建築家が設計図をもとに建築するようにこういうものをこういう形でつくりたいというのが明確にあって写真はその手段だと言い切っていました。そして「アートとはなにか?」という問いに「目に見えない精神的な世界を具現化する”技術”」(ちょっとこのとおりの言葉じゃなかったかもしれないけれど)という答えにまた非常に感銘をうけました。「技術」
アイデンティティーをあらゆる角度から問い続ける
アイデンティティーというといかにも使い古されている言葉のように聞こえるけれど、彼のテーマは一貫して「自分とはなにか?」ということだとおもいます。自己の存在意識の希薄さが幼いころからあったという杉本氏。
自分とはなにか?という問いに対し自分史はもちろん、地球の生命史から日本史まであらゆる角度から創造して見せます。ある意味答えのないこの問いに対して哲学的思想的解釈していきます。ここまでならいわゆる批評家、歴史家、哲学家、宗教家がやっていることだとおもうけれどその抽象論を具現化するのにアートという手段、いいかえれば「技術」を使っていて、見えないものを具現化してみせるとう離れ業をやってのけてます。やろうとしているアーティストはもしかして他にもいるかもしれないけれどそこに真のアーティストの天分と技術がなければこれだけ多くの人に伝えて感動させることはできないわけだろうから。アートとまったく違う分野が奇跡的に融合しているようにもみえるし、もしくは本来一つだったものを近代、特に西洋において細分化された学術分野とされていたものを改めて一つだったと示しているようにもみえます。おそらくは後者。
「フランス革命には自由、平等、博愛があり共産主義にも平等と平和があり資本主義はみんなが人間の素晴らしさを信じられたけれどそれらがすべて崩壊してしまった資本主義後期の今みんなが納得する答えやイデオロギーが政治家にも宗教家にもだれにも出せない時代にどこに向かっていくか自分とはなにかにみんなが迷ってしまっている。そんな時代に人類の想像力の極地といえるアートは益々その役割が大きくなる」というニュアンスのことをおっしゃっていました。
個人的にこの海景シリーズのレプリカなのかなにかを2枚寝室に掛けています。1990年代にあるキュレーターに海景シリーズと劇場シリーズを紹介されたのですが、当時の私は海景がまったく理解できなかったんですね。でも何年も忘れることができず数年後どうしても欲しくなり購入しました。そんな上のような難しいことを考えたわけでもなくただ惹かれたのですけれど。後付のように杉本氏個人の原風景、人類が始めにみたかもしれない原風景という今回の説明に改めて感慨深い気持ちになりましたけれども背景にあるものを伝えるアートとしての純粋な魅力があるのだとおもいます。
しかしこうやって文章にはしてみたものの映画自体にも杉本氏の言葉もアート自身についても私などではまったく伝えきれないので是非機会があれば見てみてください!お薦めです。私は2回見に行ってしまいました。HPはこちら
ちなみにiPadで過去の杉本氏の作品集がみれるアプリが発売されています!1500円でこんな贅沢があっていいのでしょうか?というような素敵さです!
最後に私がこの映画を見るきっかけになって松岡正剛さんのメルマガから引用(映画のHPにも推薦文をよせていらっしゃいます)さらに難解かも(笑)ですが・・・この方も言葉のアーティストですね。。
21世紀の複式夢幻能
お互い30代半ばのころ「気配」「結界」を合言葉に、「記憶の方法」と「方法の記憶」をまぜることを狙おうねという話をしていた。ぼくはそれを編集工学することになったが、杉本は写真光学に全面投入し、その後は作品領域を次々に広げながら稀有のアーティストになっていった。ただ二人とも「日本」を問題にしたくて、そこには徹底してこだわった。
杉本には力を惜しまない工芸力と擬死再生力があるとともに、後期資本主義の市場を翻弄できるボイエーシス(制作)の意匠力がある。そこにベルクソンの笑いもコルヴィジェの借用もあるし、鶴屋南北の転用も山東京伝の戯作もある。こんな21世紀の複式夢幻能者は、ほかには見当たらないぜ。
編集工学研究所所長 松岡正剛さん